過労死を考える

過労死認定、依然厳しい条件
 改正のポイントは、蓄積疲労も考慮の対象に加えたこと。直前の勤務状況だけでなく、倒れる前1週間以前の過重労働の実態も判断材料に加わった。ただし「1週間以内に相当程度の過重業務があった場合」という但し書き付きで、条件は厳しい。
 また、ストレスも「基準を策定するのは困難だが、個別に判断すべき」と検討対象に加えた。業務が過重であるかどうかは、従来の「同僚」だけではなく「発症者と同程度の年齢、経験を持つ人」と配慮した。
 1987年の通達では「過労死」の認定基準を「発症の1週間以内に同僚と比べて、特に過重な業務について、労災認定は年間30人。認定されなかった遺族が裁判にもちこみ国が敗れるケースが相次いだ。

過労死相談4000件越す

 過労死弁護団全国連絡会議が設置する「過労死110番」への相談件数が、過去8年間で4000件を超えたことが同連絡会議のまとめでわかった。
過労やストレスが原因と見られる自殺の相談も増加。リストラや合理化が進む中、過重な労働に追われた末の過労死が後を絶たない。
「過労死110番」は、1988年6月に開設。窓口は全国に設置され、今年4月10日までの相談件数は4026件にのぼった。
 このうち労災補償についての相談は2740件(68%)でその6割に当たる1651件が死亡事案だった。

娘は過労で死んだ

 栄さんは、1988年10月頃から、疲労が重なり、喘息症状が次第に強くあらわれるようになった。このころから、帰宅時間が遅くなり、「仕事がハードでもう辞めたい」と家族にいうようになった。1989年2〜3月頃には、帰宅時間が目立って遅くなり、栄さんは、強度のストレスを訴えはじめた。
「いくら訴えても人を増やしてくれない。会社を辞めたい。」と話していた。
5月に入ると、帰宅時間はさらに遅くなり、午後10時を過ぎることもあった。喘息や生理痛、アレルギー性鼻炎、皮膚炎、胃炎の各症状が続き、いっそう悪化していった。
6月に入ると、栄さんは、体調のいちじるしい悪化から、やせ細り、ほほがこけ、あごが尖ってみえるようになった、憔悴しきった状態であった。そして、6月12日午前2時頃から発作がひどくなり、同日夕刻、気管支喘息重積発作のため入院先の病院にて死亡した。
 今日の医学界では、過労やストレスが喘息発作を引き起こす大きな原因の一つとして、指摘されている。富士銀行は、栄さんが喘息の既往症を有していることを知っていたが、にもかかわらず前述したような過重な業務に従事させたのである。